・本当に感謝でいっぱい
・紅茶に魅せられて
・ガラス越しの幸せ
・素敵なお客様
・私の気に入ったレストラン
・いつもの中岡様より
・嬉しいお便り
・多くのお便り頂いてます
ガラス越しの幸せ
2004年に富士見に住むようになった。仕事柄どうしても深夜の夕食が多くなってしまう事が続いた。私は外食するときは極力洋食がいいと思っている。
それは、実家で育った食事が和風であったことが関係していると思う。深夜の夕食…それはまさにファミレスしかなかった。そのために富士見で初めて入ったレストランはファミレスであった。
して、窓際の席に座り通りを眺めていると、雰囲気のよさそうなレストランが私の目に飛び込んできた。これが、私とディモアの出会いであった。
それから、同じファミレスに行く度に同じ席に座り眺めながら、どんな店なのかを想像していた。「私の安月給ではとても…」と思いながらも行ける事を夢見て食事をしていた。月日は流れ、そして機会がやってきた。
2006年の8月10日。
忘れもしない日だった。なんと蓼科の別荘を持っている方に御呼ばれをしたのだ。その方はとても贅を尽くした別荘に住み、食事をしていると聞いた。私は正直困った。
「何をもっていけばいいのか…、下戸な私は酒にも詳しくないし売っている店も知らない。」そのときに頭をよぎったのはディモアだった。「どうせだったら自分の食べてみたいものをお届けしよう!!」そして、ガラス越しの幸せをかなえるときが来た。
しかし、幸せは5秒で恐怖へと変わった。財布にお金が5千円しかないのであった。ディモアでの第一声は忘れない。「5000円でケーキを買えますか?」その言葉にまだむは笑顔で「もちろん。お気に召すようにおっしゃってください。」と暖かい言葉だった。
それ以来、「この店で幸せな時間を買いに行こう」と考えるようになった。そして、購入したケーキは甘党で無い私でも大満足だった。ディモアは「美味しさ」以上に私に幸せをくれる。車でディモアの前を通るときもなぜか嬉しくなる。ファミレスでディモアを眺めながら想像しているときも幸せになる。
不思議なレストランである。私は、月に一度は食事をしに行くようになった。ディモアは離れ離れになった私の家族をもつないでくれている。何か機会があるごとに、別々に暮らしている父や姉と兄を誘ってはディモアに行った。
2月に不慮の事故で腰と首を負傷した。歩く事もままならず、人に合うこともいやで、絶望にくれ、家の中でひきこもっていた。そのときに恋人が、私を誘って外に連れ出してくれた。
それがディモアであった。その時まで食事もままならない状況であった。
しかし、ディモアの食事はその「美味しさ」で私に生きていく事の幸せをくれた。「美味しい」食事ができる幸せ。それから、私はリハビリに励むようになり現在ではほぼ回復した。
そして、富士見から佐久へ転勤する事が決まり、最後の食事を父とともにした。「最後」と思って入ったが出て行くときには「季節に一回は蓼科を越えて来ます」とまだむに言っていた。これから佐久に向かうが、佐久ではディモアにいける事を夢見て職場の窓から蓼科を眺め幸せな時間を過ごしたい。
追伸 料理の事は我が愛する父の言葉にかえさせて頂きます。
BONJOUR!
ディモア MADAME et MONSIEUR
スープがうまい
サラダが美味い
ランク A 5 Surloin Of Beefsteakのfraicheブロックを見た 食べた これがまたなんと美味いことか・・・・・・
赤ワイン しぶみ 酸味 goodチョイスしてくれ またいい以外やいがい(失礼…) pizza pie 美味くてテイクアウト
店が人が,こころ温まり くつろげる 洗練された雰囲気…これがとってもいい
ちょっとキザなところがまたいい(失礼―お許しあれ)
表現を変えて とても粋 charmante(素敵)
また会える時を念じつつ 私もちょっとキザに bye bye
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お手紙ありがとうございました。
「良く食べる親子 北原和人(父) 憲康(息子)」さんからのお手紙です。 2007年5月